不登校経験談

母子家庭で育ち小中不登校・ひきこもりになりました

不登校・ひきこもり経験談

私は現在35歳で介護福祉士をしている女性です。

私は小学校の高学年に入った頃から学校へ行くことができなくなっていきました。
我が家は母子家庭で毎月の給食代さえも支払えず、洋服もなかなか買ってもらえなかったので「何でいつも同じ服を着ているのか?」と聞かれることもありました。だんだんと「自分は他の人たちよりも劣っているのではないか」と思うようになりました。

支払いものなどを集めるときに私だけいつも遅れてしまい、その事に違和感を持ったクラスメイトからからかわれたり、楽しそうに過ごしていると意地悪な男子から「給食費も払えなくてよく笑えるよな」などと言われてしまい、「私は楽しそうにしてはいけないのだ」と思い始めました。だんだんと私は誰とも話をすることができなくなり、友だちは離れていき孤立するようになったのです。

本当に惨めな気持ちでした。
こんな気持ちになる学校へ行くのが嫌になり小学校に行かなくなっていきました。

「どうして学校へ行かないのか」と母に不登校の理由を聞かれても、「貧乏だから皆にからかわれる」とは言えず、言った所でどうすることもできないと思っていたため、体調が悪いと嘘をついて学校に行かない事が多くなっていたのです。それでも家のなかにいてばかりではいけないと、散歩に出掛けたり母親に頼まれて夕飯の買い物には行くこともありました。

しかし、それが私の不登校、ひきこもりを助長させるきっかけとなったのです。

私が学校を休んで歩いている事、買い物に行っている事におかしいと思っている人がいると母や先生から言われました。
「体調が悪いなら家から出てはダメ」「出るなら学校に行きなさい」と言われてしまい、私は外に出歩くことさえも許されなくなったのです。

家から出ると監視されている気持ちになり、中学になったことをきっかけに一日も学校へ行かなくなりました。そして不登校と言うよりも、家の中でのひきこもりの始まりです。

当時は不登校=怠け者のイメージがまだあったため、母も周りの大人も学校へ行ったらからかわれるという恐怖を私が抱いていることを理解することは出来なかったのだと思います。

私は母に施設に入れて欲しいと頼んだこともあります。
それは貧乏一家の不登校のレッテルが貼られた学校ではやり直しが効かないのがわかっていたからです。学校に行ったって影でコソコソ言われるのは分かっていたし、そんな環境で私自身が耐えられるはずがないと思っていました。しかし、それも受け入れられず、結局中学の三年間ほとんど学校へは行っていません。このまま卒業して、ひきこもりになってしまうかもしれないと考えていたとき、先生が進学を進めてきたのです。

親は「進学しても高校へ行くはずがないから」と猛反発したのですが、先生は遠くの高校なら、ここの中学から進学する人は誰もいない、不登校者でも受け入れてくれる高校だと教えてくれました。

先生は「私が一から、誰も自分のことを知らない場所でやり直したい」という気持ちでいることを分かっているかのように母を説得し進学することになりました。
この時の中学の先生には本当に感謝でいっぱいです。きっと私の不登校の原因も分かっていて、でも先生や学校ではどうする事もできない理由なのは知っていたのかもしれません。
この先生がいなければ、母を説得していなければ、私は大人になっても家でひきこもりをしていたかもしれません。

遠くの高校へ進学した私は、初日の入学式から行く事ができました。
私の事を誰も知らない高校ですぐに友達ができて、3年間無遅刻無欠席で卒業することが出来ました。今では仕事もして不登校だったという過去を知っている人はいません。あのとき、一からスタートさせてくださった先生には感謝してもしきれません。

先生や学校が対策をして不登校がどうにかなる問題ではない場合、私は環境を変える事が一番だと思います。親にだって言えない(言っても解決できないし、親が傷つくから言わない)場合だってあると思います。結局私の不登校は、私をからかった生徒一人ひとりが悪いというわけでもなく、家庭の環境だったり複合的なものです。だから、一つの問題を解決したところで同じ環境なら、また不登校になってしまう状況でした。

だから私のように不登校で悩んでいる人は、今の環境を変えてみるのも大切なのかもしれません。

ココロスイッチでは、各地(千葉市蘇我大田区蒲田新宿区大久保など)で不登校や引きこもりの相談会を毎月開催しています。参加費は無料ですので、不登校の相談、引きこもりの相談、フリースクールの選び方や、通信制高校への進学相談、子育ての悩みなど不登校や引きこもりの子を持つ保護者の方はぜひご参加下さい。