-千葉県在中の小川さんは今30歳ですが、小学校から中学校まで不登校を経験されております。それでも大学を卒業し、今は社会人として自立されていますが、不登校になった時期や、きっかけはありますか?
小川 不登校になった時期は、小学校2年生ですね。ゴールデンウィーク明けぐらいです。
不登校のきっかけは自分でもよくわかっていなくて、ある日突然行けなくなったという感じです。
-突然学校に行けなくなったんですね。
小川 そうですね。小学校1年までは、普通に友達もいたし、小学校2年生の時になぜか行けなくなりました。そこから、中学校卒業するまで不登校でした。
-不登校の時期は、どのように過ごしていました?
小川 僕の場合は、小学校には行ってないんですが、学校に友達もいて、放課後とかは友達とよく遊んでました。少年野球にも入っていて、学校行かなくても少年野球は続けていました(笑。
-友達から「なんで学校来ないの?」とか言われませんでしたか?
小川 「学校来なよ」っていうのは言われてましたね(笑。でも行けなかったなぁ。理由を聞かれてても困るんですけど。小学校の高学年からフリースクールに少しずつ行き始めました。とにかく小学校の時は、「学校に行きたくない」って思いが強くて、時には父親に髪引っ張られながら、泣きながら小学校に連れて行かれた時もありました(笑
-初めてフリースクールに行った時の印象は覚えてますか?
小川 母親が見つけてくれて、最初はフリースクールに連れて行かれていたって感じですね。その時のフリースクールは年上しかいなくて、小学生は自分だけで、中学2年生とか3年生のお兄さん、お姉さんが6名ぐらいいたと思います。小学生は自分だけでしたけど、中学生の人が優しくて居心地は良かったかなぁ。でも、フリースクールでは、強制的に勉強だけするわけでもなく、話したりとか、勉強したい人は勉強したりして過ごしていました。慣れてきたら週4回、5回は行ってましたね。
-小学校に戻る気はなかった?
小川 「学校に行かないと行けないのかな」っていう思いは芽生え始めていて、フリースクールに通ってからは、少しの期間ですけど、月に2回、3回ぐらいは小学校の授業に参加してました。卒業式も行きました。
-中学校に入ってからは学校に行き始めた?
小川 中学入学の時は「がんばるぞ」っていう気持ちはあって、入学のタイミングでフリースクールを辞めて、初めは学校行ってたんですけど。やっぱりダメで…。休みに入る前ぐらいかなぁ。学校行けなくなって。自分でも「このままじゃダメだなぁ」って思って、中2ぐらいから自分からフリースクールに戻りました。
-中学の時の不登校には理由はありましたか?
小川 先輩後輩の上下関係ですね。衝撃的でした(笑。中学校で野球部に入ったんですけど、今思えば、学校行ってなくて、周りも分からないヤツ(自分)が、部活の上下関係とか、中学の規則に縛られるのが耐えられなくなったというか。ショックを受けたのかなっていうのは今思えばあります。とにかく衝撃的なイメージが今でもあります。
-そのあとすぐにフリースクールに戻った?
小川 中学1年は、夏から3月までそのまま不登校で過ごしていたんですけど、少年野球のコーチが声かけてくれて、土日は少年野球の手伝いしていました。
-「中学校に行かないと」という思いはありました?
小川 あるにはありました。でも当時の僕は、学校という空間自体に苦手意識があったと思うんです。そのまますぐ学校に行けるかっていうと、そんな自信はなくて…。なので、自分から母親に話して中2からフリースクールに戻る事にしました。小学校の不登校時代は、勉強もそんなやってなかったんですけど、中2ぐらいから母親が家庭教師を頼んでくれて勉強もするようになりました。
-高校は全日制に入学したのですか?
小川 高校は受験して、千葉県の私立高校に入りました。
-高校は通う事ができた?
小川 高校1年生の時は、ちゃんと通う事ができて、成績も平均ぐらいはとれていたんですけど、その高校では2年生に進級する時に、文系か理系か選べたんですね。何を血迷ったか、僕は理系を選んでしまって(笑。クラスも、ある程度成績上位が集まる選抜クラスっていうのに上がってしまって(笑。そこからが大変でした。
-理系のようなクラスを選んだ理由は?
小川 当時、飛行機が好きで、何を思ったのか航空自衛隊を目指そうと思っていて(笑。航空自衛隊になると物理とか必要になると思って、じゃあ理系という簡単な気持ちで進んでしまったんです。
-そこからが大変だった?
小川 はい。単純に勉強について行けなくなりました。小中と学校も行ってないし、基礎ができていない状態だったので、勉強する内容も高校1年の時と変わって、頑張ってもダメでした。
-高校でも不登校になったのですか?
小川 高校には行くには行ってました。本当にたまに休む事もありましたけど、自分の中でも、何とかして行こうと思って。出席日数もあるので、高校は卒業したかったので行ってました。だから高校では不登校にはならなかったですね。
-でも勉強がついて行けない事がストレスだった?
小川 だいぶ追い詰められていました。高校から帰ってきたあと、家で過呼吸になって救急車で運ばれました。その後、母親に心療内科に連れて行かれて、パニック障害になりかけてるんじゃないかって言われて。
-心療内科は通い続けたんですか?
小川 何回かは行きましたけど。先生が嫌だったというか、この人に俺の何が分かるんだって思ってて(笑。続きませんでした。
-それでも高校には行き続けた?
小川 行ってました。高校辞めたら次どうなるんだって恐怖心が強くて。でも、そのあと一回学校でも過呼吸になって運ばれました。
-勉強はついていけるようになったんですか?
小川 全然ダメでした。その頃からリストカットするようになりました。今でも親は知らないですけど。
-リストカットはストレスから?
小川 なんか自分を傷つけたいっていう衝動にかられて、リストカットを続けていました。親が寝静まったあとにやったり、学校でもたまにやってました。
-自分の事は嫌いだった?
小川 嫌いでした。小中の不登校も含めて、何でこうなったんだろ、何で生きてんだろって思ってました。
-それでも高校には行き続けて進級した?
小川 なんとか、補習とか受けて進級して、3年生になる時に理系を辞めて一般進学クラスに変更してもらいました。実は、そこからは落ち着いて、すごく楽になって。勉強内容もついていけるし、リストカットも辞めました。大学進学しようと思ってバイトしながら、塾にも通って、高校も卒業して大学は心理学科に進みました。
-大学で心理学科を選んだのは、これまでの自分の生き方も関係している?
小川 自分自身がきつかったというのもあって、ストレスとの向き合い方とか、心理学を学べば自分も変わるかなっていう思いがありました。
-大学は順調に卒業できましたか?
小川 順調ではないですけど、1年生の時に前期の半分単位落としました(笑。大学甘く見てましたね。でも、アルバイトと大学の課題もこなしつつ、充実はしてました。学生生活の中で大学が一番楽しかったですね。
-大学卒業後は就職しましたか?
小川 一応、幼稚園教諭の免許はとりましたけど、車が好きで(笑。スポーツカーも買って、車を維持するためにバイトしていたぐらいでした。だから車のディーラーに就職したかったんですけど落ちました。で、大学卒業後は、ラーメン屋に就職したんですけど、社会人としてのスキル不足もあって辞めました。そのあとは、東京で児童館のスタッフを1年したり、千葉に戻ってきて、全く別業種に就職しました。
-千葉に戻ってからは仕事も充実した?
小川 仕事にやりがいもあったし、仕事も覚えていって。ただ、徐々に仕事が増えてきて、体が持たなくなって。うつ病になって辞めました。
-人間関係は問題なかった?
小川 上司は嫌いだったけど、問題ありませんでした。周りに合わせながら仕事はできていたんですけど、歳を追うごとに仕事量が増え、まわらなくった感じです。そろそろ、持たなくなるぞって自分でも分かってたんですけど、異常に1人で飲みに行きたくなったり、常にイライラしていていました。その内、ボーっとしながら仕事したり、ふらついたりして、仕事ができなくなって病院いってうつ病と診断されて、仕事ができなくなって辞めた感じですね。
-今は何をしていますか?
小川 今も、薬を服用していますが、とにかく自分のペースで無理しないように心がけています。ボランティアで、千葉の地元の地域イベントの実行委員会をやったり、コンビニのバイトや塾講師をしたり、今は周りの人に恵まれているので、無理せずやって行けてます。
-今の自分から見て、不登校と時の自分はどんな子だった?
小川 自分から情報発信できる子じゃなかった。意思表示ができない子というか自分を押し殺していた感じはあります。学校に行けなかった理由は、今でも本当によくわからないですね。
-今の自分と不登校の時の自分に違いはある?
小川 親に対する甘えは強かったと思います。でも反抗心もあった。ずっと不登校だった自分に対して親も心配しすぎな部分もあったと思うんです。それは感じていて、高校からは、自立しないといけないという焦りが強かった。親元から離れたい欲求も強かった。理想の自分とのギャップは常にあったのかもしれません。だから、今は無理せず、できる事をやっている感じです。
-自身の不登校経験から今、当事者に伝えるとすれば?
小川 やりたい事をやってみたほうがよい。僕は、やりたい事がわからないで大人になった人間なので、子供のうちに何か興味がある事を増やしたほうが良いと思います。ちょっとした事でも、チャレンジしたい事があればすぐやるべきだと思います。僕は、今の自分にも言い聞かせています。
-ありがとうございました。
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