不登校経験談

いじめから逃げ出せたのは周りの助け。不登校を抜け出したのは自分自身の意思でした。

不登校・ひきこもり経験談

私は現在25歳の女性です。
私が不登校になったのは中学2年生の時でした。
中学1年までは友人に恵まれ学業も中の上で
運動はからっきしでしたがそれなりに楽しく過ごしていました。

それが突然変わり始めたのは
学年が上がり思春期特有の体形の変化がきっかけでした。
思春期でありながら成長期も迎えていた私は
小学校の頃こそ小食で細身でしたが中学に上がり通学・部活など
活動量が増えていたこともあり食事の量がこれまでとは比べ物に
ならないくらい増えていたのです。

家に帰れば夕食の前にプリンやアイスなどおやつを食べ
その後に夕食をしっかり食べるという生活をしていました。
夕食も弟がいたことで必然的に肉や揚げ物が多い食卓になり
私もそれらを好んで食べていました。

今思えばですが、成長期中の私の体は必要以上のエネルギーを蓄え
ありとあらゆるところが肉付きが良くなっていたのでしょう。
特に体質でしょうか、顔に肉が付きやすく私が太ったことは
顔を見ればすぐにわかりました。

クラスの中で特に存在感があるわけではなかった私は
太ったことによってだんだんと悪い意味で目立ち
クラスの中心的な男子グループにからかわれるようになりました。

どう対応していいかわからない気持ちと、悲しい気持ち
何をしても「太っているから」という蔑みの目で見られ
やるせない気持ち・それに伴った自己肯定感の低下と
今まで生きてきた中で味わった事の無い気持ちになりました。

からかいの対象になることでどんどん居心地が悪くなっていくという
悪循環をだんだんと溜めてしまいました。

やがて、からかいぐらいで済んでいたことが
言い返せない私の受け身な性格もあって
いつしか悪口やクスクス笑い・私を避ける行為へと変化しており
元々傷つきやすい私はさらにふさぎ込んでしまいました。

クラスの中心グループからされていたこともあり
なかなか周りも気づいてはいるものの基本的に助けはなく
見て見ぬ振りというか、私に関わらない雰囲気。
私に関わるとイジメの対象になるのではという感じなのでしょうか
最終的には本当にひとりぼっちとしか言いようがない状況でした。

それでも小学校からの友達やクラスの違う友達は
私の事を気にしてくれていたのを覚えています。

でも、いじめられている現実と、そうは思いたくない自分自身のプライド
親にいじめられている事がバレたくないという思いが
毎日学校へ行く勇気となっていたのかもしれません。
でも本当につらい時は家を出るのが怖くてこっそり泣いていました。

「次に両親や弟の顔を見られるのは
学校で嫌な思いをして帰ってきてからなんだ」と
今生の別れのような心境でした。

大げさな表現ですが
今考えると当時それほどまでに追い詰められていたんだなぁと感じます。
そんな生活を続けているうちにいつしか本当に辛くなった私は
誰かに気づいて欲しいという思いで担任と毎日の交流をつづる
【生活ノート】に辛い気持ちをぶつけました。

いじめにあっていること、どうしたらいいか分からないこと
こんな目に遭うなら生まれてこなければ良かったと書きました。
同時期、自分の存在意義がわからなくなって制服のボータイで
首を絞めたこともありました。

そんな地獄のような日々が何日か続き、ある日学校から帰宅すると
担任の先生が自宅に来ておりました。その場は同席しませんでしたが
どうやら生活ノートに書いたSOSがきっかけで母と面談に来た様子でした。

担任の先生は「生まれてこなければ良かった」とまで書いたことに
深く衝撃を受けたようで、こうも追い詰められていたことに
気づかなかったことに反省と謝罪をしておりました。

母も薄々は感じていたそうで今後の生活をどうするべきか悩んでいました。
担任の先生が帰ったところで母は私と話をし、登校・クラスについて
どう思うかを話し合いました。

いじめをしていたグループと顔を合わせたくなかった私は
「とにかく学校に行きたくない」と伝えました。

結果、私はしばらく不登校になりました。

不登校の間は、自由という思いは全くありませんでした。
学校に行かない、行けない罪悪感はずっとありました。

基本的に家にいても暇なので色々と想像もしてしまいます。
学校を休んでる自分の事をクラスの友達はどう思っているのか
私がいなくても、休み時間に私の悪口が続いているのか
昨日みたドラマの事を友達を話したいなぁとか
この話とか友達としたいなぁとか

しだいに、友人に会いたい・勉強したいという気持ちが芽生え始め
不登校という現実に焦りを感じていました。
不思議なもので、いじめから逃げ出すために不登校になったのに
今度は不登校から抜け出したいと思いはじめたんです。

私の場合、不登校は長く続かず約2か月後に保健室登校から通学を始めました。

その後だんだんと学校での楽しかった出来事を思い出し
3年生に進級する少し前にクラス復帰を果たしました。

私の場合、友人や両親そして一番は担任の先生がSOSに気づいてくれた事で
立ち直ることができました。
でもあの時、勇気を出して生活ノートに思いを書いていなかったら
我慢して学校に生き続けていたら、私は今どうなっていたのかなぁと
今でも思う時があります。

私の場合、先生にSOSを求めたのは最後の手段でした。
そして、その気持ちをしっかりと受け止めてくれた先生や母親には
感謝の気持ちでいっぱいです。

だから大人になった今では、誰かのSOSを感じる事があれば
絶対に助けてあげたいという思いがあります。

いじめや不登校で自分から早い段階で子はなかなかいないのが現状だと思います。
もし、表情でも行動でもいつもと違うことに家族や周りが気づけば
それが解決の糸口となります。学生時代は環境の変化が多く
まだまだ子供で時に残虐ですしマイノリティが認められにくい時です。

私自身の経験から
いじめから逃げ出す事ができたのは周りの助けがあったから
不登校から抜け出す事ができたのは自分自身の意思があったから

どうか私の体験が辛い思いをしている方の助けになれればいいなと思います。

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